期間工として働いたこと

最終更新日 2024年10月24日 by hawri

一時期、自動車メーカーの期間工として働いたことがあります。

月々の給料の良さに加えて、入社時には一時金も支払われるということで、お金に乏しかった私は、即座に飛びつきました。

それからの月日というものは、確かにお金にはなりましたが、様々なことを考えさせられた経験でもあったのです。

まず、勤務地というものは、直前まで詳しく教えられることはありませんでした。

まあ、誰もが知る有名メーカーだし、まさかおかしなことにはならないだろうと、当時の私は、余裕を持って構えていました。

いざ辞令を受け、その場所をインターネットで調べてみると、驚くほど周りにはなにもない場所です。

こんなスカスカな地図が実在するのか、なにかの間違いではないかとも考えましたが、それ以上なにが分かるわけでもありません。

実際に勤務地についてみると、確かにインターネットの地図は真実しか載せていませんでした。

田舎というより、人里離れた場所にある謎の工場という佇まいです。

社員寮もすぐ近くにあり、通勤が楽なのはありがたい限りだったのですが、なんだか取り残されたような気分になったのも事実です。

同じ時期に来たであろう若者と出会い、話を聞いてみると、やはり困惑しきりという感想が帰ってきました。

簡単な説明を受け、回された部署というのは、車体の組み立てでした。

かといって、なにか難しいことをするわけではありません。

インパクトレンチという電気工具を使って、ねじを回しいていくだけという単純なものでした。

機械でもよさそうなものですが、人間を雇ったほうが安いということなのでしょう。

作業そのものは、安全面に配慮されたもので、休憩もきちんととることができました。

ブルーカラーほど、労災に気を遣うものだということを、思い知らされました。

やってることは機械のようですが、きちんと人間扱いしてくれるのです。

販売や営業しているときは、これほど丁寧に扱われたことはなく、体がへろへろになっても仕事を続けさせられたものです。

字面で受ける印象と、実際は大きく異なるのだなとしみじみ感じ入ったものでした。

食事も、社員食堂を利用できますので、安い食費でお腹いっぱい食べることができました。

値段は300円前後で、ご飯も野菜もついてきますので、カップラーメンを買うよりは、はるかにコストパフォーマンスに優れています。

これも、福利厚生の一貫ということでしょうか。

以前の職場で、時間がない中インスタントばかり食べていたので、すっかり即席食品を受け付けなくなった身としては、ありがたい限りです。

メニューは定食がメインであり、日替わりではありましたが、揚げ物が多かったことを覚えています。

フライが苦手な人には辛いかもしれません。

食事が終わり、お茶をすすりながら、窓の外の美しい自然を眺めていると、田舎というのも案外悪くないなと思ったりもました。

社員寮も光熱費が無料でエアコン完備と、実に快適な環境でした。

寮といっても、ワンルームのマンションですから、伸び伸びと過ごすことができます。

これでインターネット使い放題なら申し分なしだったのですが、それは望みすぎというものでしょう。

しかし、近くにこれといった店がないのは閉口しました。

コンビニくらい歩いて行ければいいのですが、そんなものはありません。

これでは、仕事意外は引きこもりで過ごすことになるなと危惧した私は、最初の給料で自転車を買うことにしました。

さすがに二輪車になりますと、行動範囲が広がります。

スマートフォンを駆使しながらコンビニにたどりついたときには、まるで宝の山をみつけた気分になったものです。

それから休みのたびに、自転車を飛ばしてコンビニに走り、雑誌類を眺めたあと、いくつかのお酒とおつまみを買って帰るのが習慣となりました。

本当はおでんを買いたかったのですが、自転車では汁やタネが飛び散るのは明らかでしたから、それだけは本当に悔しかったものです。

期間工生活も長くなり、満期が近づいてきたある日のことです。

もうその頃は、なにも考えなくても勝手に体が動いていましたから、作業そのものは楽でした。

しかし、妙な違和感があります。

よく自身を観察してみると、右手の人差指が痛みと共に、強張りを感じていることを発見しました。

ああ、これが噂に聞くバネ指というものかと思い至りました。

つまり、何千回となくインパクトレンチの引き金を引いていたので、指の筋を傷めてしまったのです。

もうこれは職業病なので、致し方ないことではあります。

今まではよくマッサージなどをしていたのですが、最近は怠りがちで、それが要因の1つでもあったのでしょう。

さらによく指を揉むようにして、任期終了を迎えることにしました。

期間工が満期を迎え、私は寮を引き払い、僅かな荷物をまとめて実家に帰ることにしました。

片田舎という認識しかなかった故郷は、まるで大都会のようです。

家に帰り着くと、早速、近くのコンビニでおでんを買いました。

こうして私の期間工生活は終わりを告げたのです。

 

期間工は楽で稼げていい

期間工として働いているのですが、この仕事は楽で稼げることができるので良いです。

働き始めるまでは工場の仕事は大変そうだと思って避けたいと思っていたのですが、実際にしてみると大変は大変なのですが思っていたほどでもなく働きやすいと感じました。

それまでは一般的な仕事のアルバイトをしていたのですが、給料も悪く将来性もなかったのでそれならこのような場所で働いている意味はあるのかなと考えるようになったのです。

将来性があるのであれば、給料が安くても続けている意味がありますが将来性もなく給料も安いでは働いている意味がありませんから、せめて安心して働くことができる仕事があるは稼げる仕事をしようと考えるようになりました。

しかし、自分にできることは限られていましたから何ができるかなと考えた時にたまたま期間工の求人を目にして、これならできそうだし待遇も悪くないので応募してみようと思ったのです。

工場の仕事は誰でもすぐに採用されると聞いていましたから、多分大丈夫だろうとは思っていたものの、これで採用されなかったらやる気がある状態だっただけに厳しいなと考えていたのですが普通に採用され一安心をしました。

寮があるのでとりあえずそこに入ることになったのですが、寮がある場所も工場がある場所も結構な田舎で遊ぶところはパチンコぐらいしかなかったのです。

ある程度は予想していたとは言え、ここまでとは思っていなかっただけにこの環境で続けることができるだろうかと少し不安になってしまいました。

確かに向上のような大きな施設を作るのであれば市街地にはできませんが、ここまで周りになにもないというのも厳しいと感じたのです。

ただ、周りに何もないものの市街地までの距離はそれほどあるわけではありませんでしたから、遊びに行こうと思えば遊びに行くことができるレベルだったのでその辺はまだましかなと思いました。

寮に関しては決して新しいものではなく、良くも悪くもイメージ通りで好んで住みたいと感じるようなものではありませんでした。

ところがいざ中にはいってみるとおもったよりも綺麗で、部屋も古さは感じましたが設備はそれなりに整っていたのでまずまず快適に生活をすることができそうな感じがあってホッとしました。

周囲に何もないと言っても食事をする場所には困るようなこともなく、価格もリーズナブルなものでしたからお金を無駄に使うことはなさそうだと考えお金を貯めるにはいい環境だと考えることにしたのです。

工場の仕事に関しては思っていたものと少し違って、それなりに考えて作業をしないとどんどん遅れが出てしまうのでけっこう大変に感じました。

それはあくまでも最初のうちだけで慣れてしまえば体が勝手に動きますから、それほど余計なことを考える必要はなくそこから考えることといえば他のやり方をしたらもっと効率よく作業をすすめることができないかなというもので、工夫をするということを考える楽しみはありました。

それでも基本的には一度覚えてしまえば特別大変なことはなく、肉体的には多少疲れるもののそれほど負担になるとは感じませんでした。

人間関係に関してはあまり気の合う人がいなかったことから、退屈をすることになってしまったのですが逆に言えば余計な人間関係で悩まされることがなかったのでその点は良かったのかなと思っています。

結局期間が限られているわけですから、仲の良い人がいなかったとしても少し我慢すればそれで済むことであり人はすぐに入れ替わるものですからあまり人間関係を気にしても仕方ないですね。

職場の環境などには特に不満がなく、それでいて給料がかなりいいのでどんどんお金が貯まっていくためそれが楽しくて仕方ありませんでした。

今までこれぐらいの金額を稼ぐためには結構苦労して働き通しだったのに、工場の仕事というのは楽なのに稼ぐことができますからついに転職を見つけたかなという印象を受けたのです。

それでも期間が限定されているわけですから、一生続けることができるかもわかりませんし保証も何もありませんからずっと続けていくことに対しての不安はありましたがひとまずまとまったお金を手に入れることができるというのはかなり助かるもので、お金がなければ仕事を探すのも大変ですからそのための資金作りにも期間工は良いなと思うようになったのです。

そのように考えてはいるのですが、一度期間工のおいしい条件に慣れてしまうとどうしても積極的に苦労して正社員の仕事を探そうという気になることはできずに工場での仕事を選び続けてしまっています。

工場で働く前までは稼げるだけ稼いで思いっきり遊んでやろうという気持ちを持っていたのですが、今はお金があるということが精神安定剤のようなものになっていますから極力減らさないようにして安定した仕事が見つかるまでは貯蓄に回したほうがいいかなという健全思考をもつようになりました。

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